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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)84号 判決 1992年3月26日

新潟県新潟市万代1丁目2番6号

原告

株式会社高雄エンタープライズ

同代表者代表取締役

高橋雄一郎

同訴訟代理人弁護士

中島敏

同弁理士

飯田伸行

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

深沢亘

同指定代理人通商産業技官

佐藤雄紀

谷口博

松木禎夫

同通商産業事務官

廣田米男

主文

特許庁が昭和63年審判第16178号事件について平成3年2月18日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者が求めた裁判

1  原告

主文同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和54年11月22日、名称を「地中壁の構築による軟弱地盤の安定化工法」とする発明(後に「軟弱地盤の安定化工法」と補正、以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和54年特許願第151745号)したところ、昭和63年6月17日拒絶査定を受けたので、同年9月8日査定不服の審判を請求し、昭和63年審判第16178号事件として審理された結果、平成3年2月18日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年4月1日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

地盤の軟弱層中に設置される杭又は矢板を核として、その周囲に構造上必要とする地盤改良設計に基づいて、圧密効果と排水効果を得るための地盤注入を行い、杭又は矢板と改良地盤を一体化して地中壁構造体を構築することを特徴とする軟弱地盤の安定化工法(別紙図面1参照)

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  これに対して、本件出願前に日本国内において頒布された刊行物である昭和52年特許出願公開第93104号公報(以下「引用例1」という。)には、「地すべり地域全面に亙って所要間隔毎に多数の金属製杭状体を、滑動地盤層及び滑り粘土層並びに不動地盤層に貫通させるとともに、同各金属製杭状体の周辺地盤に地盤改良剤を注入する地すべり抑止工法」(別紙図面2参照)が記載されている。

さらに、本件出願前に日本国内において頒布された刊行物である昭和53年特許出願公開第145314号公報(以下「引用例2」という。)には、「軟弱粘性土地盤の所定の複数地点で、所要深度での地盤強度の指標となる値を求め、その値に基づいて注入固化用液状材料の注入圧力を調整し、注入固化用液状材料を、前記値を測定した部所からその周囲の軟弱地盤中に注入して周囲の地層中に分布させ、前記複数の地点から同様に注入固化用液状材料を、それらの地点からの注入用液状材料の分布範囲が相接するか、または部分的に重なり合うように注入して脱水圧密効果が得られるようにする軟弱地盤の改良工法」が記載されている。

(3)  そこで、本願発明と引用例1記載の発明とを対比すると、願書に最初に添付した明細書(以下「当初明細書」という。)の第2頁第6行ないし第12行には、「本発明工法の適用対象である軟弱地盤とは、定性的にいえば主に(中略)傾斜地、崩壊地などに分布する軟弱な崩積土などである」と記載されており、さらに同第2頁第13行ないし第19行には、「また、用途上からいえば、(中略)地滑りや斜面(法面)崩壊などで早急に復旧しなければならない場合に本発明工法は適用できる。」と記載され、同第5頁第5行ないし第20行には、「一方、地辷地帯の地盤強化には従来杭打ち工法が用いられてきたが、斜面の崩壊土が泥状になるため杭の間をすり抜けて(中略)したがって、(中略)本発明の目的は(中略)土圧や辷りに耐える機能をもたせる技術を提供することにある。」と記載されている。

以上の記載を総合すると、本願発明における軟弱地盤は、地辷地帯、地滑地域をも含むものであり、したがって、引用例1記載の発明における地すべり地域は本願発明の軟弱地盤に相当することになる。

そして、引用例1記載の発明においては、金属製杭状体の下端開口及び杭状体の駆体外周に設けた噴出口より地盤改良剤が金属製杭状体の外周に接する地盤に注入されるのであるから、金属製杭状体と地盤が地盤改良剤によつて一体化されていることは技術常識上明らかである。

さらに、引用例1記載の発明においては、「地すべり地域全面に亙って所要間隔毎に多数の金属製杭状体を、滑動地盤層及び滑り粘土層並びに不動地盤層に貫通させている」のであるから、地盤に注入された地盤改良剤は、結果的に互いに重複し、地中壁構造体を形成している。

以上のことから、引用例1記載の発明は、本願発明と次の点で一致する。

「地盤の軟弱層中に設置される杭又は矢板を核として、その周囲に地盤注入を行い、杭又は矢板と改良地盤を一体化して地中壁構造体を構築することを特徴とする軟弱地盤の安定化工法」。

そして、両者の相違点は、杭又は矢板の周囲に地盤改良剤を構造上必要とする地盤改良設計に基づいて、圧密効果と排水効果を得るための地盤注入を行うか否かである。

しかし、地盤改良剤を構造上必要とする地盤改良設計に基づいて、圧密効果と排水効果を得るための地盤注入を行うことは、引用例2に記載されており、かつ当初明細書の第2頁第20行ないし第3頁第2行に、「上記いわゆる地盤注入工法については、既に本出願人が一連の特許出願明細書(例えば、特願昭52-59517号)で提案しているのでここでは詳細に説明しない」と説明されているように公知であるので(なお、前記出願の公開公報が引用例2である。)、この地盤注入技術を地すべり防止の際の地盤注入に適用する程度のことは当業者が容易に推考できたものである。

(4)  したがつて、本願発明は、引用例1及び引用例2記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明することができたものであり、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

引用例1及び2に審決認定の技術事項が記載されていることは認めるが、審決は、本願発明の技術内容を誤認した結果、本願発明と引用例1記載の発明との一致点の認定及び相違点の判断を誤り、かつ本願発明の奏する作用効果の顕著性を看過したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)  一致点の認定の誤り

本願発明の要旨とする「地盤の軟弱層中に設置される」杭又は矢板とは、その文言どおり地盤の軟弱層中にのみ杭又は矢板を設置するものであって、これを不動地盤層にまで貫通させるものではないことは一義的に明確である。また、このことは、本願明細書の発明の詳細な説明に記載された本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果から明らかである。

すなわち、従来軟弱地盤を安定化する工法では、杭又は矢板等を不動地盤まで根入れさせ、これに支持することが必要であると考えられていた。しかしながら、杭又は矢板を不動地盤まで根入れするためには、これに対応できる特別の材質と長尺の杭や矢板を必要とし、しかも杭又は矢板の変形あるいは変位によって土留め効果等が十分発揮できない欠点があった(当初明細書第4頁第6行ないし第18行、平成1年9月28日付手続補正書(以下「補正書3」という。)第2頁第17行第18行)。

本願発明は、従来技術の上記欠点を克服すること等を技術的課題とし、特許請求の範囲記載のとおり、構造上必要とする地盤改良の設計値を決定し、杭又は矢板を地盤の軟弱層中に設置し、その周囲に注入剤を注入し固化させて地中壁構造体を形成することにより、軟弱地盤を安定化する工法を提供するものであり(当初明細書第5頁第16行ないし第20行)、「この目的は軟弱地盤における所要深度での地盤強度となる値を求め、単数列あるいは複数列の杭または矢板などの部材を該地盤の軟弱層中に打設または押入れし(中略)地中壁を構築することによって達成できる。」(同第6頁第1行ないし第9行)ものである。

被告が指摘する第4図は、第5図と対比するため自立矢板のみを軟弱層に根入れしその周囲への地盤注入を行わない場合を比較例として示したものであり、公知技術ではない。

これに対し、引用例1記載の発明は金属製杭状体を不動地盤層にまで貫通することを必須要件とするものであり、この金属製杭状体は不動地盤層で支持されるものである。引用例1には、金属製杭状体を軟弱層中に設置すればよい旨の開示は全く存せず、また、金属製杭状体が軟弱層中で支持され得ることを示唆する記載も見当たらない。

したがって、本願発明と引用例1記載の発明とは、「地盤の軟弱層中に設置される杭又は矢板」を核として、その周囲に地盤注入を行い、杭又は矢板と改良地盤を一体化して地中壁構造体を構築することを特徴とする軟弱地盤の安定化工法である点で一致するとした審決の認定は誤りである。

(2)  相違点の判断の誤り

審決は、本願発明と引用例1記載の発明との相違点は、「杭又は矢板の周囲に地盤改良剤を構造上必要とする地盤改良設計に基づいて、圧密効果と排水効果を得るための地盤注入を行うか否かである」と認定し、この点は引用例2に記載された公知の「地盤注入技術を地すべり防止の際の地盤注入に適用する程度のことであって、当業者が容易に推考できたものである」と判断している。

しかしながら、本願発明と引用例1記載の発明とは、上記(1) の構成において相違する。そして、杭又は矢板を地盤中のいかなる層に設置し、支持するかは地盤の安定化工法の根幹をなす重大な技術要素であって、この点において引用例1記載の発明と明確に相違する本願発明は、引用例1記載の発明とは別異の技術的思想に基づくものであるから、引用例1記載の発明に基づいてこれに引用例2記載の発明を適用しても、本願発明を得ることはできない。

(3)  作用効果の看過

本願発明は、その要旨とする構成により次のような特有の作用効果を生じる。

<1> 本願発明では、杭又は矢板と一体化した構造を軟弱地盤中に早期に構築することができる。

<2> 本願発明では、引用例1記載の発明のように不動地盤層にまで貫通する長大杭を使用する必要がないから、経済的であるばかりでなく、土木用重機を容易に設置できない地滑り地域等における作業性を大幅に改良し、施工可能領域が拡大される。

<3> 本願発明では、杭又は矢板を不動地盤層にまで貫通させないから、地下水等の水の流れを妨げず、地中にダムが形成されて、その結果地中壁を倒壊させる危険がない。

<4> 本願発明では、引用例1記載の発明のように改良対象地盤とは異質の地盤である不動地盤層にまで杭又は矢板を貫通させることにより物性の違う地盤の境界で杭又は矢板が変形あるいは変位する危険がない。

本願発明の奏する以上の作用効果は、本願発明に特有の作用効果であり、引用例1及び引用例2記載の発明では奏することができない。

しかるに、審決は本願発明がこのような顕著な作用効果を奏することを看過し、本願発明の進歩性を否定したもので、誤っている。

第3  請求の原因に対する被告の認否及び主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の審決の取消事由は争う。審決の認定、判断は正当であって、審決に原告主張の違法は存しない。

(1)  一致点の認定について

本願発明の特許請求の範囲には、杭又は矢板に関し、「地盤の軟弱層中に設置される杭または矢板」と明確に記載されており、これを地盤の軟弱層中にのみ杭又は矢板を設置するものと限定的に解釈すべきではない。

また、本願明細書の発明の詳細な説明及び願書添付図面を参酌しても、「地盤の軟弱層中に設置される杭または矢板」が地盤の軟弱層中にのみ設置される杭又は矢板を意味するものとは記載されておらず、かえって以下に述べる記載事項からして、原告主張のように限定解釈することはできない。

<1> 当初明細書第5頁第16行ないし第20行には本願発明の目的に関する記載があり、同第4頁第6行ないし第5頁第12行、昭和63年10月8日付手続補正書(以下「補正書2」という。)第2頁第1行ないし第3行、及び補正書3第2頁第17行ないし第19行には、本願発明で解決する従来技術に関する記載がある。

なお、上記記載中の「従来、例えば河川改修などにおいて矢板を使用する場合、第4図に示すように軟弱地盤の支持層にまで矢板を根入れして(後略)」の箇所は、第4図が軟弱地盤の支持層まで矢板を根入れした場合であるかのように読める。しかし、本願明細書中の「軟弱地盤とは、定性的にいえば(中略)地下水位が高く飽和して間隙の大きい緩い砂質地盤」(当初明細書第2頁第6行ないし第11行、昭和63年3月11日付手続補正書(以下「補正書1」という。)第3頁第1行第2行)との記載及び第4図の対象地盤中の緩い砂質土のN値が2~4である(補正書2第3頁第5行ないし第9行)との記載からすると、第4図に示された従来例は矢板を軟弱地盤の支持層まで根入れした例ではなく、矢板を軟弱層中のみに根入れした例であり、このような工法は本件出願当時周知であった。

上記の記載からみれば、本願発明の目的は、矢板工法又は打設杭工法で軟弱地盤を安定化していた従来技術が有する問題点、すなわち、<a>軟弱層が厚い場合、杭又は矢板に大きな側圧がかかり、杭又は矢板が変形あるいは変位すること、<b>杭又は矢板の打設に伴う騒音・振動、<c>地辷り地帯で斜面の崩壊土が泥状となり杭の間をすり抜けること、<d>打設等に必要な重機類の搬入が困難であること、を解決することである。

<2> 当初明細書第6頁第1行ないし第9行、第1頁第16行ないし第2頁第5行、補正書1第2頁第19行第20行には本願発明の構成に関する記載があり、この記載からみて、従来技術の上記問題点を解決するための本願発明の手段は、矢板工法又は打設杭工法と地盤注入工法を組み合わせて適用し、対象の軟弱地盤中に地中壁構造体を形成することにあり、その際、地盤注入工法を構造上必要とする地盤改良設計に基づいて行うことである。

<3> 当初明細書第10頁第5行ないし第7行、補正書2第3頁第5行ないし第4頁第18行には本願発明の作用効果に関する記載があり、この記載からみて、本願発明の奏する作用効果は、矢板単独で行う工法に比べ、矢板の材質及び長さの点で節減できること等である。

以上の本願明細書に記載された本願発明の目的、構成、作用効果からみれば、本願発明の特徴は、杭又は矢板を地盤の軟弱層中にのみ設置するところにあるのではなく、矢板工法文は打設杭工法と地盤注入工法を組み合わせて適用し、対象の軟弱地盤中に地中壁構造体を形成することにある。

したがって、本願発明における杭又は矢板は地中壁構造体を形成するのに必要とする少なくとも軟弱層中に設けられていればよいものであって、「地盤の軟弱層中に設置される杭又は矢板」には、引用例1記載の発明のような不動地盤層にまで貫通している杭も含まれるから、本願発明と引用例1記載の発明とは、「地盤の軟弱層中に設置される杭又は矢板」を核として、その周囲に地盤注入を行い、杭又は矢板と改良地盤とを一体化して地中壁構造体を構築することを特徴とする軟弱地盤の安定化工法である点で一致するとした審決の認定に誤りはない。

(2)  相違点の判断について

本願発明と引用例1記載の発明とは、上記(1)の構成において一致することは、前述のとおりであるから、本願発明と引用例1記載の発明とは別異の技術的思想に基づくものとはいえない。

したがって、引用例1記載の発明に基づいてこれに引用例2記載の発明を適用して、本願発明を得ることは当業者が容易に推考できることであって、相違点についての審決の判断に誤りはない。

(3)  作用効果について

原告の主張する本願発明の奏する作用効果のうち、<1>「杭又は矢板と一体化した構造を軟弱地盤中に早期に構築することができる」<2>「土木用重機を容易に設置できない地滑り地域等における作業性を大幅に改良し、施工可能領域が拡大される」との点は、引用例1記載の発明においても同等の作用効果が期待できるものである。また、杭又は矢板を不動地盤層にまで貫通させないから、<3>「地下水等の水の流れを妨げず、地中にダムが形成されて、その結果地中壁を倒壊させる危険がない」<4>「物性の違う地盤の境界で杭又は矢板が変形あるいは変位する危険がない」との点は、本願発明が不動地盤層まで杭又は矢板を貫通させる場合を含むものである以上、これを本願発明の特有の作用効果とすることはできない。

したがって、本願発明の奏する作用効果は引用例1及び引用例2記載の発明の奏する作用効果に比較して格別顕著であるとはいえないから、審決に本願発明の奏する作用効果の顕著性を看過した誤りはない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

第1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)、同3(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

1  成立に争いのない甲第4号証ないし第7号証によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

(1)  本願発明は、軟弱地盤強化法、特に盛土の側方の軟弱地盤又は掘削した法先の軟弱地盤に矢板を打設して地盤の側方変位を減少させて安定度を高める矢板工法あるいは矢板の代わりに既製杭を用いる打設杭工法と、強制圧密、脱水、固化及び置換を単独工程で行ういわゆる地盤注入工法とを組み合わせて適用し、対象の軟弱地盤中に地中壁構造体を形成することによって地盤を安定化する軟弱地盤の安定化工法に関する(当初明細書第1頁第16行ないし第2頁第5行、補正書1第2頁第19行20行)。

本願発明の適用対象である「軟弱地盤」とは、定性的にいえば、主に<1>粘土やシルトのような微細な粒子からなる土質又は未分解の繊維性~腐植質の土質で含水比が高く、支持力の低い粘性土地盤、<2>地下水位が高く飽和して間隙の大きい緩い砂質地盤、<3>傾斜地、崩壊地等に分布する軟弱な崩積土等である(当初明細書第2頁第6行ないし第12行、補正書1第3頁第1行第2行)。

従来、例えば河川改修等において矢板を使用する場合、軟弱地盤の支持層まで矢板を根入れして地盤の側方変位を現象少させて安定度を高めていたが、この工法は、軟弱層が比較的薄く、支持層も浅い場合にのみ有効であって、軟弱層が厚くなるほどこれに対応できる材質と長尺の矢板が必要となり、その結果矢板自体の側圧への対抗力が弱くなって、矢板が変形又は変位し土留め効果を十分発揮できない欠点があった。そのため軟弱層が厚く支持層も深く必要な根入れ深さがとれない場合は斜杭又は親杭を打設して土圧又は盛土の辷り破壊に抵抗させたり、切梁を施工したり、控杭を打設してタイロッドを取り付ける構造にしていた。また、河川以外の施工環境によっては杭又は矢板の打設に伴う騒音、振動等が公害上問題となることがしばしばあった。一方、従来地辷り地帯の地盤強化には杭打ち工法が用いられてきたが、斜面の崩壊土が泥状となるため杭の間をすり抜けて打設杭による地盤強化の効果が減殺されがちであり、この傾向は軟弱層が厚く十分に根入れできない場合に顕著であつた。また、打設に必要な重機類の搬入が困難であり、櫓を組んでモンケンで打ち込む工法が採用されていたが、杭の長さにかなりの制約があった(当初明細書第4頁第6行ないし第5頁第15行、補正書3第2頁第19行第20行。なお、当初明細書の「従来、例えば河川改修等において矢板を使用する場合、軟弱地盤の支持層まで矢板を根入れして」との記載は、補正書2第2頁第2行第3行により、「従来、例えば河川改修等において矢板を使用する場合、第4図に示すように軟弱地盤の支持層まで矢板を根入れして」と補正されているが、この補正は誤記と認められることは、後記2認定のとおりである。)。

本願発明の技術的課題(目的)は、上記の従来工法の欠点を補って、短時間で経済的な方法で原位置に地中壁を構築し、施工上有害となる沈下を抑制したり、土圧や辷りに耐える機能を持たせる技術を提供することにある(当初明細書第5頁第16行ないし第20行)。

(2)  本願発明は、上記技術的課題(目的)を達成するためその要旨とする特許請求の範囲記載の構成(補正書3第2頁第3行ないし第8行)を採用したものである。

(3)  本願発明は、上記構成により、「短時間で経済的な方法で軟弱地盤中に地中壁を構築することにより、軟弱地盤を安定化することができる」(当初明細書第10頁第5行ないし第7行)という作用効果を奏する。

2  原告は、本願発明の要旨とする「地盤の軟弱層中に設置される」杭又は矢板とは、地盤の軟弱層中にのみ杭又は矢板を設置するものであって、これを不動地盤層にまで貫通させるものではないのに対して、引用例1記載の発明は金属製杭状体を不動地盤層にまで貫通することを必須要件とするものであるから、本願発明と引用例1記載の発明とは、「地盤の軟弱層中に設置される杭又は矢板」を核として、その周囲に地盤注入を行い、杭又は矢板と改良地盤とを一体化して地中壁構造体を構築することを特徴とする軟弱地盤の安定化工法である点で一致するとした審決の認定は誤りである、と主張する。

特許出願に係る発明が特許法第29条第2項に定める特許要件を具備するかの判断に当たって、同項所定の発明との対比のために必要な当該発明の要旨の認定は、明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてすることを要し、その記載のみでは発明の技術的意味を明確に理解することができない等の特段の事情があるときは、明細書の発明の詳細な説明及び図面を参酌することができるというべきである。

ところで、上記1の認定事実によれば、本願発明の特許請求の範囲には「地盤の軟弱層中に設置される杭または矢板を核として、その周囲に構造上必要とする地盤改良設計に基づいて、圧密効果と排水効果を得るための地盤注入を行い、杭または矢板と改良地盤を一体化して地中壁構造体を構築することを特徴とする軟弱地盤の安定化工法」と記載されており、この記載からは直ちに本願発明において杭又は矢板は地盤の軟弱層中にのみ設置されるものに限定されることが一義的に明らかということはできない。

そこで、本願明細書の発明の詳細な説明及び図面を参酌して「地盤の軟弱層中に設置される杭または矢板」の技術的意味について検討すると、その発明の詳細な説明には、上記1認定のとおり、軟弱地盤の安定化工法として、河川改修等では矢板を使用する工法が行われていたが、従来の工法は、軟弱地盤の支持層にまで矢板を根入れし地盤の側方変位を減少させて安定度を高めていたため、軟弱層が厚くなるほどこれに対応できる材質と長尺の矢板が必要となり、その結果矢板自体の側圧への対抗力が弱くなって、矢板が変形又は変位し土留め効果を十分発揮できない欠点があり、また、地辷り地帯の地盤強化には杭打ち工法が用いられてきたが、斜面の崩壊土が泥状となるため杭の間をすり抜けて打設杭による地盤強化の効果が減殺されがちであり、この傾向は軟弱層が厚く十分に根入れできない場合に顕著であつたとの知見に基づき、本願発明は、上記の従来工法の欠点を補って、短時間で経済的な方法で原位置に地中壁を構築し、施工上有害となる沈下を抑制したり、土圧や辷りに耐える機能を持たせる技術を提供することを技術的課題(目的)とし、これを達成するためその要旨とする特許請求の範囲記載の構成を採用したものであること、本願発明は上記構成により「短時間に経済的な方法で(すなわち、杭又は矢板を軟弱層中にのみ設置するから、工事に要する時間を短縮でき、杭又は矢板の材質・長さを節減できる。)軟弱地盤中に地中壁を構築することにより、軟弱地盤を安定化することができる」という作用効果を奏することが記載されており、前掲甲第4号証ないし第7号証を検討しても、本願明細書には本願発明において杭又は矢板を軟弱層を貫通して不動地盤中に設置することについての記載は全く存しないことが認められる。

したがつて、当業者であれば、本願発明は軟弱地盤の安定化工法において杭又は矢板を軟弱地盤を貫通して不動地盤に設置していた従来工法の欠点を解消するため、杭又は矢板を軟弱層中にのみ設置し、その周囲に構造上必要とする地盤改良設計に基づいて注入剤を注入し固化させて地中壁構造体を形成することにより、軟弱地盤を安定化する工法を構成要件とするものであり、この構成によって短時間に経済的な方法で軟弱地盤を安定化することができるものと理解するであろうから、「地盤の軟弱層中に設置される杭または矢板」の技術的意味は、杭又は矢板を地盤の軟弱層中にのみ設置するものに限定されるというべきである。

この点について、被告は、本願発明の目的、構成、作用効果からみれば、本願発明の特徴は、杭又は矢板を地盤の軟弱層中にのみ設置するところにあるのではなく、矢板工法又は打設杭工法と地盤注入工法を組み合わせて適用し、対象の軟弱地盤中に地中壁構造体を形成することにあり、杭又は矢板は地中壁構造体を形成するのに必要とする軟弱層中に設けられていればよいものであって、「地盤の軟弱層中に設置される杭または矢板」には、引用例1記載の発明のような不動地盤層にまで貫通している杭も含まれる、と主張する。

しかしながら、本願発明の目的、構成、作用効果は上記のとおりであって、本願発明は、杭又は矢板を軟弱地盤を貫通して不動地盤に設置していた従来工法の欠点を解消するため、杭又は矢板を地盤の軟弱層中にのみ設置するととともに、矢板工法又は打設杭工法と地盤注入工法を組み合わせて適用し、対象の軟弱地盤中に地中壁構造体を形成することを特徴とするものであり、杭又は矢板を不動地盤まで貫通させるときはその技術的課題(目的)を達成できないことが明白であるから、被告の上記主張は採用できない。

なお、本願明細書の発明の詳細な説明中の従来技術の説明箇所には、「従来、例えば河川改修等において矢板を使用する場合、第4図に示すように軟弱地盤の支持層まで矢板を根入れして」と記載されており、この記載は当初明細書の「従来、例えば河川改修等において矢板を使用する場合、軟弱地盤の支持層まで矢板を根入れして」との記載を補正書2により補正したものであるが、前掲甲第4号証ないし第7号証によれば、第4図は対象地盤が軟弱な粘性土(イ)と緩い砂質土(ロ)によって構成されている場合において矢板を軟弱層である砂質土(ロ)に設置した本願発明の第三の実施態様を示すものであって(補正書2第3頁第2行第3行、同第4頁第20行第5頁第1行)、本願明細書の上記1認定の記載事項に照らしても、これが従来技術を示すものでないことは明白であり、当業者であれば、「第4図に示すように」との部分は補正の際誤って加入されたもので、誤記であると容易に理解できるものである。また、仮に本件出願当時杭又は矢板を軟弱層中にのみ設置する工法が周知であったとしても、発明の要旨は、特許請求の範囲の記載に基づいて明細書の発明の詳細な説明及び図面を参酌して認定すべきことであって、明細書の記載に基づかずに本願発明の特徴は杭又は矢板を軟弱層中にのみ設置する点にないから、本願発明は杭又は矢板を不動地盤層にまで貫通するものを含むと認定することはできない。

一方、引用例1記載の発明は、「地すべり地域全面に亙って所要間隔毎に多数の金属製杭状体を、滑動地盤層及び滑り粘土層並びに不動地盤層に貫通させるとともに、同各金属製杭状体の周辺地盤に地盤改良剤を注入する地すべり抑止工法」であることは、当事者間に争いがない。

そうであれば、本願発明は杭又は矢板を軟弱層中にのみ設置し、不動地盤まで貫通させないものであるのに対し、引用例1記載の発明はこれを不動地盤にまで貫通させるものである点において、その工法を異にし、本願発明は上記相違点に係る構成を採用したことにより引用例1記載の発明に比して短時間で経済的な方法により軟弱地盤を安定化することができるという顕著な作用効果を奏するものであることが明らかである。

したがって、本願発明と引用例1記載の発明とは、「地盤の軟弱層中に設置される杭又は矢板」を核として、その周囲に地盤注入を行い、杭又は矢板と改良地盤とを一体化して地中壁構造体を構築することを特徴とする軟弱地盤の安定化工法である点で一致するとした審決の認定は、本願発明の技術内容を誤認した結果両者の杭又は矢板を設置する層に違いがあることを看過したものであり、誤りである。

3  以上のとおりであって、審決は本願発明と引用例1記載の発明との一致点の認定を誤った結果、本願発明は引用例1及び2記載の発明に基づいて当業者が容易に発明することができたとしたものであるから、その余の取消事由について判断するまでもなく違法として取り消しを免れない。

第3  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 佐藤修市)

別紙図面1

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別紙図面2

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